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日野屯所便り
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日野宿本陣 2005

 今年の4月に改装オープンされた日野宿本陣にようやく行ってきました。

  

 門を入ったところに明治天皇が立ち寄られた記念の碑があります。その頃は明治天皇は騎馬でお立ち寄りあそばされたそうで・・・。やはり、近代とはいえ明治は江戸に近いのね。現代では馬がいる生活が思いもつかない。
 さて、高幡不動でも菊祭りの時期、本陣にも隊士(一応誠の鉢巻してます)の菊人形がお出迎え。
   

   
入る前に外から式台の写真を一枚。式台は本陣の正面玄関ですが、地位の高い人しかここから入れなかったわけで、近藤勇も甲府へ行く際に立ち寄ったそのとき初めてここから入ったとのこと。右は屋内から式台をうつしたところ。

 今回は去年と違って当時を彷彿とさせる照明の使い方をしています。天上の電気は全て止めて部屋の隅に行灯が置かれていました。写真ではフラッシュをたいたので結構明るく移っていますが、午後2時頃で結構ほの暗く感じました。

 

 左は本陣の事務方の仕事部屋です。真ん中の縦に敷かれた畳が通路で両脇に机を並べて仕事をしていたようですね。その奥に見えるのが(右写真手前の部屋)式台から入ったすぐの部屋で、玄関の間といいます。こちらは畳が式台から見て平行に並んでいます。歩く方向に畳の縁がありますが、これは偉い人を迎えるにあたって一切不届きな事はしないという証だそうです。よく言う畳の縁を踏むなというのは、 武家社会では下から刀で襲われる恐れがあったからだとか。つまり、そんなことしませんよという表明なんですね。
 玄関の間は回りが全て杉の一枚戸で仕切られています。左の写真は玄関の間の奥にある畳廊下。写真で左側にある杉戸は、当時は右側の敷居の所にあったそうです。偉い人しか通らなかった廊下です。ここは去年の公開時は当時の所有者の私物などが置かれていて非公開でした。

  

 一番奥の間、左は庭側から、右は市村鉄之助がかくまわれていた部屋から。この部屋は当時偉い人が宿泊する上段の間へ行くときに通る下の間・中の間を合わせて一間にし、書院造に作り変えたものだそうです。現在庭になっているところに当時は上段の間と御前の間があって、この二間は明治26年有山家へ移築されたそうです。更に当時ひょうたん池と言うものがあったらしい。で、その際この部屋には意匠が凝らされました。
  

 左は上の写真の衝立の裏にある柱、ここに直彫りで鯉が彫られています。右の写真は庭に面した廊下の板にひょうたんが隠されています。昔は木の節目を隠すのに細工をしたらしいですが、こんなに大きくはしない筈だから、これはこれまであったひょうたん池を埋めてしまって残念だ、せめてここにひょうたんを残しておこうという、大工さんの心意気だそうです。鯉もここにいるぞ、と言うのが柱の彫刻。これはすべて家主の依頼ではなく、当時の大工さんの意思表示だそうです。昔の職人は粋だったのですね。
こちらは玄関の間の杉戸の奥に当たる部屋です。当時は右側が納戸、左は仏間ということです。去年は私的スペースとして非公開だった部屋です。ちなみにこの二間の釘隠しはうさぎです。

玄関の間は菊菱、控えの間(彦五郎・ノブの私室と、鉄之助の部屋)は逆さこうもり。今度はちゃんと撮ってきました。

 以前のレポートでは写真がイマイチだったので、改めて大黒柱の写真をアップします。45cm角の柱というのはやはりものすごい存在感ですね。   下の写真は当時のお勝手に当たるところに展示されていた道具類。一番奥の木の盥は偉い人が湯浴みに使ったんだとか。
 最後に庭からの写真を一枚。この本陣では三脚などの使用不可という以外、撮影はすべてOKです。右の写真は式台の左手にある案内板。
  

 以上、写真の説明ばかりで本陣の歴史などはお粗末な限りですが、その辺りは本家HPにてよろしくご参照ください。(情けないねぇ、これだからミーハーはイカン)
 以下のサイトの日野宿本陣のページへどうぞ。

日野市観光協会  http://www.shinsenhino.com/
新撰組のふるさと歴史館
  〒191-0016 東京都日野市神明4-16-1
  TEL 042-583-5100

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