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日野屯所便り
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日野宿本陣

公開最終日に駆け込みで見学しました。

   

日野宿が設置されて400年だそうです。日野宿本陣は都内に現存する唯一の本陣だそうです。甲州道中本陣としては本陣・脇本陣とも100坪を超える敷地は他には無い立派な構えだったとのこと。元々の建物は150年ほど前に焼失してしまい、現存する建物は佐藤彦五郎が140年前に新たに建てたものだそうです。

    

今では建築不可能だと痛感するような造りです。右の写真は大黒柱ですが約45cm角の柱ですって。ありえない!しかもこれはケヤキで、大工泣かせの堅い木なんだそうです。写真には入らなかったのですが、大黒柱より更に左側の柱を小黒柱というそうで、これでさえ約30cm角(一尺)とのこと。鴨居は低く作られており、部屋の内側には槍掛けがあります。左は上がり框(かまち)を撮ったものですが、とても高い框です。これらは、強盗に入られ母親が惨殺された経験から、防御の為の造りらしい。框が高ければ家に侵入するのに一呼吸遅らせるし、鴨居が低ければ刀を振り回すことができない、という訳。実際鴨居というよりは横の大黒柱かと言うほどの太さで、鴨居が低い分内側に入ると天井が高く感じられて、壕の中に入ったような感覚になります。この頑丈な柱をはじめ、がっちりした造りで震災も戦火も耐え抜いて来たんですね。

門を入って来ると正面にあるのがこの部屋です。鴨居の上には有名な書家の書いた額があります。
「文乃武乃」右から「即ち武、即ち文」と読むそうです。文武両道という意味でしょうか。(写真なくてごめんなさい)
写真の戸は、木の専門家が唸ったという杉の一枚板を使ったものです。この幅の一枚板を取るには1.5倍の太さの杉の木がいるらしい。大黒柱もさることながら、いったいどれだけの建築費が掛かったでしょう。
造りのすごさでもうひとつ。
五部屋開放で見学できましたが、各部屋の境の
襖が開けられていて、なんかスカーッとしているな
ぁと思っていたら、普通あるべきところに柱がない
んですね。(右の写真で欄間の間に細い柱があり
ますが、普通ここに柱を立てるらしい。)これは釣
り天井の造りになっているからなんですって。

で、この欄間、左右二枚あって四季の図柄の透かし彫りが施されているんですが、秋冬の方の欄間が逆にはめ込まれていて、釣り天井の造りのおかげで入れ直せなくてそのままになったそうです(大工のミス)。釣り天井というのがどういう工法かは良く分かりませんが、これだけの豪勢な造りで失敗をそのままにせざるを得なかったのは、大工としてはさぞ悔やまれたことだろうと思います。

   

これは鴨居の釘隠しというものですが(四方の鴨居の真ん中についていました)、コウモリの形というのは変わっていますね。コウモリが付いている部屋はプライベートルームという意味なんだそうです。表の二間を抜けた奥の部屋二つにこれが付いていました。反対にパブリックスペースとなる部屋には、菊菱の釘隠しが付いていました(下の写真がそれなんですが、大失敗でした)。面白いですね。でも、部屋の内側に付いているから、襖を開けないと分からないんだけど・・・。

コウモリが付いている二部屋のうち、もっとも奥にある部屋が今若い人の間で話題だそうです。なんでも市村鉄之助が函館から戻ったあと、二年ほど隠れ住んでいた部屋ということで、ピースメーカーという漫画のファンの間で鉄ちゃんの部屋として人気らしい。私はピースメーカーは知りませんが、市村鉄之助といえば、土方さんが形見を託して多摩へ戻らせた少年です。この人が持って帰ったおかげで、私たちは土方さんの顔を知っているわけですが、多摩へ戻った後、賊軍の生き残りということで、ほとぼりが冷めるまで隠れるように暮らしていたというのは知りませんでした。(土方さんから少し離れるともう興味が薄れる、ミーハーな俄かファンはもっと勉強しないといけません。)

今年最終日で日曜ということもあって、大勢の人が来ていました。上記の話はボランティアのガイドさんの話の受け売りですが、3人が休む間もなく次々と案内してくれていました。
本陣も公開は今日で終わり、来春新たに改装?して公開するということでした。

今回室内の写真が手ブレで大失敗でしたが、説明が分かりづらいので敢えて載せました。(他にもたくさん撮ったんですが、見られるもののほうが少なくて・・・)最終日まで来ないからこういうお粗末で終わってしまうんだわ。本当に失礼しました。

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