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能書三昧

音楽を聴くということ

 自分でMIDIを制作する(私の場合MUSINGする)ようになって、音楽を聴く時に 今までと違った聴き方をするようになりました。
  MUSEデータ作成の時、必要なのはパート譜です。複数の楽器を鳴らして曲を演奏させようとしたら それぞれの楽器に別々の譜面が必要になります。もちろん、これは実際に楽譜が必要ということではなく、 パートごとの音が要るということです。MUSEでクラシック曲を制作している人は実際の楽譜をみて データを打っているようですが、私は楽譜からではなくCDなどを聴いて音を拾っています。 (MIDIの世界では耳コピと言うらしい。)

 実際に耳コピしてみて、CDの曲が各パートごとに取り出せたらいいのにと何度思ったか。 はっきり取り出せるのは歌手の歌うメロディだけ。後ろにいるバンドの音を別々に拾っていくうち、 今追っかけているのはギターの音なのかベースの音か分からなくなっていく。バックがフルオーケストラ だったりした日には、バイオリンの上の音がいつの間にか下の音といっしょになって聞き分けられなくなる。 自分の耳がこんなに無能だとは思いませんでした。(自分がこういう経験をするとモーツァルトの逸話は 超人間的に思えてきます。複数の曲を同時進行でパート譜面に起していくなんて気狂い沙汰であります。 作曲家はすべからく脳ミソの造りがどうかなっているに違いない)

 もちろん今まで同様、ただ曲を楽しみたいときはパートを追うことなく聞こえるままに聴いているのですが、 ふっと、この曲、MUSINGしてみたいな、と思うとすかさずドラムの音だけ、とかベースの音だけとか 追いかけている自分に気がつく。今までだったらパートの音なんて気にも留めなかったのに。 パートを意識すると今まで聴いたことなかった音が出現します。もちろん、全て聴こえていたはずなんですが、 分かってなかった。これは、オーディオセットをランクアップした場合に起こる現象に似ています。 安いコンポで聴いていたときには表現されなかった音がいいアンプといいスピーカーからは聞こえてくる。 パートの音を追っかけることは純粋には音楽を聴くことにはならないかもしれませんが、全体を聴いていても 個々のパートに意識がいくかいかないかで、全体の音楽が全然別物になると思う。

 一番変わったのは、イントロや間奏をよく聴くようになったことかも知れません。 歌が好きで聴きながら歌うだけだったときはイントロ飛ばしたって平気という感じで曲名を言っても イントロが思い浮かばなかったけど、今はまずイントロから音を取る。だから、MUSINGしてみたいと思う 曲はイントロが印象的な場合が多い。

 考えてみれば普通に音楽が大好きな人に比べれば、今まではかなりいい加減な聴き方だったってことですね。

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