陰陽師に関する小説を読み漁るようになって、怪奇ミステリーとか伝奇小説の類に手を伸ばすようになった。
もちろん好みはあるので、未来宇宙SF系はほとんど読まない。時代が古くなる分には構わないけれど、
舞台が中国だと名前が面倒なので読まない。
怪奇ものといってもインナートリップ小説(っていうのかしらん)は余程の腕がないと独りよがりな文章になって
読んでいても楽しめない。余程の腕のある作家ったって誰
がどうだか私に批評は出来ないので、これはもう読んでみて好きか嫌いかということになるけれど、頭の中、
心の中のモヤモヤを延々読まされるより、具体的な妖怪とか祟り神の話や謎解きの方が好きだ。
「死国」の板東真砂子の「伝奇」ものは一通り読んでみた。大抵舞台設定が四国で、四国には憑き物関係の
言い伝えが多いということを知る。映画「死国」が上映されていた頃はこの類は避けて通っていたので、
予告CMを見ただけでぞっとして、どうしてこういうのが流行るんだろうと不思議に思ったが、
いざ小説を読んでみると、あまり懸け離れた世界でもなくて、誰でも何かしら身に覚えがあって
背筋が寒くなることってあると思った。
「狗神」が映画化されていたのも知らなかった。つい先日レンタルして見たが、さすがに原作を全部映像化するのは
無理のようで、先に本を読んでいると結末が物足りない。本を読んでいる時には映画化したら面白いかも、
と思っていたが、実際に映画化されてみると、ちょっとちがうなぁ、でも、実映像を撮るとなるとあの場面は
不可能だしなぁ、なんて思ったりして。
ただ、映画にしてみたいと思った人が他にも―-映画を撮る側にも――いたということはつまらない小説ではない
ということなんだろうな。
なにかのきっかけで、何の変哲もない日常の生活に異世界の入り口ができる。 通常みんな見ていても見えないから通り過ぎるけど、通常ならざる状態になるとそれが見えるようになって、 きっとまじまじと覗き込んで、つい足を踏み入れてしまうかもしれない。「あなたの知らない世界」ってやつね。 想像するだけで鳥肌立っちゃう。
で、なんで鳥肌立つのに読んじゃうかというと、非日常が欲しいからに他ならない。
私にとって読書は此処ではない何処かにしばらくトリップするための手段。伝奇物や探偵物は特にそうだ。
江戸時代でも平安時代でもアメリカでもヨーロッパでも何処でもいい。さらに自分のしらない世界――
科学でも美術でも仏教でも歴史でも――を分かりやすく学べれば言うことなし。その上、才媛だの、富豪の娘だの、
王家の末裔だのに一時なれるというオマケ付き。
現実逃避したくなったら本を読もう。